私は東京湾沿岸の街で育った.小学校時代はテレビが主なメディアで,お台場やディズニーランドが人気だった.また,任天堂が遊びの中心で,校庭や公園で遊ぶ機会は減っていた.高校時代にウェブサイトを作る級友がおり,私ものめり込んだ.小説を書き上げたことをきっかけに,私は芸術の門を叩き,1年間修行することとなる.生涯役立つ感性を鍛えるには高校生の多感な時期しかないと考えたためだ.
美術学校も東京湾沿いの街にあった.画板を肩に提げて実家から自転車で通った.講義が終わると,東京湾まで走り,海の水面を見たり,川が海に合流する河口を見るのが好きだった.東京湾の海岸の道には適度に潤った空気が立ち罩めていて,乾燥しがちな内陸部とは異なる独特の興奮を歩くだけで感じられた.沿岸には高速道路が通っており,トラックの轟音を橋梁の下から繰り返し聞くことも好きだった.
緑地も長く続いていた.自転車も通れる遊歩道で,住宅街でもあった.また,工業地帯でもあり,工場が多く密集しており,新卒の時面接を受けた工場も含まれている.私はこの街が好きだった.東京湾の方向へ行けば,高校生の時の感性が戻ってくる気がした.それは自分の出発点でありまた到達点であり,思い出や感傷でもあるが自分の由来でもあり芯軸でもあった.その後も何かあればここに戻っていた.
今住んでいる街に越してきてから,東京湾沿岸に行く機会はなくなった.仕事で展示場に行く時くらいしか,東京湾を見なくなった.今住んでいるこの街も港町であり,港まで自宅から歩いて行けるので,晴れた日にたまに散歩している.少年時代の喧騒は忘れてしまった.楽しかったのかも覚えていない.でも,感情が消えたままの光景が何枚も心に保存されており,そこで育ったことを証ししてくれている.
