この1週間,いろいろな人に教えを乞うてきた.私一人の知見で生きていても温々するだけだから.しかし,やはり当然,一人一人言うことが違った.それぞれが矛盾することはない.ただ,それぞれの人の見方で異なる意見をいただき,非常に学べた.同じ人はいない.同じ価値観もない.今まで直属の上司との狭い環境で働いて生きていたから,狭苦しい了簡にとどまっていた.そんな生活,考え方が崩れた.
一人一人の言うことを真だと受け止め,ひとつひとつを総合しても,矛盾はしないのでそうするつもりだ.いずれも私と向き合っていただいた言葉だから,無碍にできない.そして,どれも私が成長するために必要な見方だった.だから,斥けることはしない.どんな忠告もその通りだと受け入れた.第一,そんな親身に向き合ってくれる大人が私の周りに多くいること自体,感謝しなければならない事実だ.
認識の仕方を変えることは少しの勇気がいる.でも,そのほうが自然になる.自分だけで方法を作り上げて生きるのも悪くないが,それで大切なことを理解できる人生になるかといえばそうはならないだろう.年長者の忠告を受け入れるという姿勢が身についたので,今後もいろいろな忠告を聞けるかもしれない.何気ない語らいから,今までとは異なった聞き方や見方を得られるようになるかもしれない.
神さまは最善のご計画を私に持っている.今この時に,このような転換をもたらしてくれたのだ,これは何かの目的による主の導きである.40歳というと,もう立派な大人である.自分はまだそうなる準備ができていない.今までと同じ人たちと,もっと深い話ができるようになったのだ,これが練達の始まりだ.今,年長の先輩に多く囲まれ,同世代の知人がいないことが,まだ意味を理解できない主の導きだ.
