年始に実家に帰省した.いざ部屋に入ってみると,さすがにすでに整理されており,本を少し選別して箱に詰めるだけで,20分くらいで終わった.段ボール箱は2箱に収まり,金曜に届けてもらうことに.へぎそばでもてなされ,妹や親戚と歓談し,夕方に帰宅した.実家は父がしっかりしているので平和に保たれている.母が心配.妹2人は私より頑張っている.夜,自宅に帰宅すると,久々に興奮と疲労を覚えた.
私は今下働きの立場で,上司に対し疑問があっても伏せて,与えられる仕事をこなせば給与がもらえる立場だ.想像力の限られた私にとって,労働はそれ以外ではない.この立場を得るために今まで頑張ってきたとは思いたくないのだが,父は有益な存在となった.仕事と割り切り,趣味を進めると良いという.数学や物理の本を2箱送ってもらうので,その本を今後の人生で長く楽しもうという私の思いを,父は当然の如く支持してくれた.
私のまだ長い人生は,どうでも良くなって過ごしてしまうこともできる.でも,それでは生きている意味が何もない.お金のために働き買い物し生きていくのでは,ただ生きるだけで終わる.そんな人生はとても意味がない.私が存在し生きる意味は,私にとって意味のある事柄に時間を使うから,私の存在に意味が生まれる.どうでもよく生きることができる,だからこそ何かに取り組んで生きたいと思う.
テレビや糖質摂取やモールで買い物といった手軽な娯楽は,手軽ゆえに毒が強い.すぐに眠くなるし疲れが長引いてしまう.生きることがどうでも良くなってしまえば,何に取り組もうが意味を失ってしまう.取り組みの意味は,取り組みそのものにはなく,取り組んでいるから意味がある.取り組んでいるから楽しいし苦しいし,喜びあり発見もあり,意味を得て増幅し,それが生きる意味になっていく.生きるとは,その意味は生きるなかで生まれる.
