努力しなくても生きていける.実家にいた時そう思って苦しかった.今までしてきた努力が無意味なものになり,今すぐでなくともいつか確実に無意味になるとしたら,何のために今努力しようとしているのだろう.ティーンズの頃こう当然のように悩んでいたが,今思えばかなり特殊な悩みである.実家が生活に困らないいわゆる太い家なので,逆に自己否定の癖がついてしまった.努力の意味は自分が楽しめるからのほかに見つからなかった.
今こうして親元を離れて10年,この頃の悩みは私を珍しい人物にした.自分が楽しむために生きているからだ.すべての行動の目的が,第一に自己満足なのだ.この価値観を持っている人,持てている人は,私の周りにはいない.最も確実に幸福になる価値観だと思うが,みなそう考え至るまで悩んでいないし,別の悩みを抱えてきたのだろうし,私のその悩みは余裕のある環境にいなければ生まれない類の悩みであった.
私は悩んで豊かになった.普通に生きていていずれ失うものを予め回避できたので,それを得ない代わりに別のものを多く得た.そういう話だ.私はこの人生で良いと思っている.悩んでおいて良かったと思っている.私の人生をもうある程度ブレさせなくても良いと思えるようにもなってきた.人の意見は聞くし,取り入れることはするが,自分のその核であるところは,簡単には壊さなくて良いし,代えなくても良くなってきた.
自分の生き方を肯定できるようになってきたのだ.自分が悩んできたことが,自分を作っていることに自信が持てるようになってきた.自分は自分であって誰かの代わりではない.それで良いのだと思えるようになった.今年は私がどんなふうに生きてきたか定義する年にしたい.誰かに知らせるという前に,自分で認識するために.私がどのように生きてきたか人に説明できれば,人の指示に左右されずに済むようになるだろう.
