私は高校3年の時,転学し美術学校に入った.学費の最も安かった建築科に入った.動機は,美大に入りたいのではなく,将来の人生を芸術とともに歩みたい,というものだった.芸術が職業になるか趣味で止まるか,わからないけれども,若いうちに感性を磨いておけば,将来は芸術をより深く楽しめるだろう,との予測があった.将来の職業のためではなく,将来の長い人生のために,美術学校に入ったのである.
そこで3人の芸大生に教わることになる.今では3人とも有名な建築家である.検索してみると,田舎で建物を作って農業をしながら昨年あるコンペでグランプリを受賞した人,設計事務所を構え住宅建築をしつつ大学の准教授になった人,100人を超える規模の会社を経営しメディアでも活躍している人.各人が今でもその人柄らしく活動している様子だ.私はそんな彼らに,建築水彩や立体設計を教わったのだ.
私は結局,美大に進まなかった.そういう人生を望まないからだ.父の勧めで情報系の大学を出た後,念願だった理学を修めた.今は研究所でウェブのプログラマとして働いている.これはこれで良い選択を重ねたと思っている.私は,周りを巻き込んで名を挙げたり人を率いて有名になるような人物にはなりたくない.私の生まれ育ちから考えて,今の私は繋がっているし,繋がってあるべきだ.人生は自然な形になるものだ.
この3人の存在は,その後長いこと私の人生に影響を与えた.学んだことを脱構築できたのはつい最近のことかもしれない.私は私なりに生きたい,今そう心から思えるのも,彼らの存在があったからだ.感性の領域なので,知らぬ間に騙されていたり,勘違いを根に持ったり,刷り込まれたりという裏の面は確かにある.でも,それを含めて今の私である.そう感じた理由があるのだろうし,それはまだ大きな水面下にある.
