私は多分,無駄なことをコツコツとやるために生きている.人生の全てをそれのためにチューニングして生きている.だから,だいぶ豊かな気持ちで生きている人間なのだと思う.17歳の時に感じた人生は可能性に過ぎないのだろうかという問いに対し,27歳の時に神がサイコロを振る確率を考えてみようと思いつき,37歳の時にその確率がゼロであることを証明しその意味をはっきりと認識できた,そういう人生だ.
それだけですごく筋の通った立派な人生だと思うし,我ながら満足できる.創造的な生き方だと思うし,半生の全てを費やしただけのことを得られたと思うし,これからの余生をしっかりと踏み締めるに充分な自信の供給源を得られたと思う.いつ死んでも後悔がない人生になった.自分で問題を生み出し,解決法を考え出し,実際に証明し,その意味を展開した.歴史上こんな人は1万人もいない気もしている.
この人生を送るきっかけは,中学2年の時の漢字の勉強だ.普通使わないような漢字の読み方書き方を毎日少しずつ勉強し,漢検1級に合格した.この達成に対して,特別嬉しさはなかった.この経験から,無駄なことをコツコツ取り組み,それが成果に結びついても誇りとしない,その虚心坦懐な構えを私は学んだのだと思う.人生の趣味を楽しむ姿勢の真髄を,私は義務教育の時代に学んだのだと今は思っている.
無駄なことをコツコツやる楽しみ,つまり趣味を,私はいくつか持っている.それらは継続する価値のあることだ.私は広く浅く見聞するより,いくつかのことをとても深くやる方が充実して楽しいと感じる.何か自分にしかできないことを発見することに無上の喜びを持つ.独自性を自分で作り見出すことが,目的であり得意でもある.これを応用して仕事も生活も全て回っているのだから,いい人生だという他ない.
