仕事以外の趣味の時間に,積極的に芸術に触れている.音楽,文学,絵画.鑑賞するだけだって充分楽しいが,やはり自分でも何か描き出したい気持ちが昂る.今は部録などの媒体でなんでも作品を公開できるのだから,誰でもキーを打つだけで使える文字という部品を使って,自分にしか作れない表現を描き出したいと考えるようになった.鑑賞しながらそんなことを願って進めている.今もシューベルトをかけている.
YouTubeで文才のある女子が酒を飲んで不健康な料理を喰らいナレーションするチャンネルがあり,笑いながら沼っている.沼るをハマると読むといいと思う.そういう芸人的方向もいいと思うけど,とても真似できない世界を構築している彼女には比肩できない.何か私らしい世界構築術を考えた時,私には引っ張っていく力がないという特徴があるような気がする.自分らしくない表現をしていたらいずれ無理が祟る.
音楽のような,今かけているシューベルトのピアノソナタ第21番の美しい構成でさえ,時間的な引っ張りがある.世界に引き込むための引っ張りではなく,それは私も捨てられないけど,音楽の原理的な制約である時間が,どうしても一方的に流れる引力となってしまう.だから私が芸術世界を構築するとすれば,音楽にはならない.むしろ時間の経過によって動くことのない,静的で,時間から自由な世界になるだろう.
なので,音符で書かず文字で書くことになると思う.そこには勿論,音楽的な背景や,数学や情報技術の要素が入った世界になるが,古典文学に倣った世界構築の手法みたいなものからも影響を受けて作ると思う.とにかく,この日常が日常であるのは私の中でしかなく,誰かから見ればこの日常は非日常つまり芸術に入っている.さらに飽き足らず私の日常に仮構を加え,遊離させた要素を組み込んで世界を作りたい.
