職場に20年間勤続した開発者がいる.いつも尊敬の的だ.豊富な経験から繰り出される話術,システム化とロジックでなんでも実現していく粘り強い思考,陽気に気遣える余裕.この技術者に出会ってよかったと思う.そんな彼と比較にはならないが,自分はまだ開発経験1年半程度で,しかしながら技術知識の獲得では濃い1年間だったように思う.まだ1年半である.しかし,将来への不安が芽生えては力に変わる自分を発見した.
ただでさえ認知機能が衰える30代である.特に夏場は生きるだけで精一杯だ.継続的に知識を拡大する夢や技術をめきめき磨く職人の道を常に歩めればいい.確かにそれを心がけて勉強に開発に取り組めば,道はどんどん開け,社会でほんとうに役立つ人間になれる.これを繰り返していれば,将来への安心が育める.将来の不安はどこか努力しても無駄ではないかという諦念が原因なのかもしれない.
一度考えておきたかった.大学生のとき,これから先の人生は先細るだけだという女子学生がいて,びっくりした.彼女は国立大学に入っても絶望していたのだろう.それなら街を行き交う老若男女は,いったいどれほどの絶望を抱き続けているというのか.しかし,この問題は最近答えが出た.人生のある時点で絶望はなくなる,絶望から全く救われることが起こりうる.であるから,若いときの方が絶望しやすいと.
経済的に完全に親から独立して生活して4年経つ.今後も両親に頼ることはしない.お金が多くあればよいと思った時期もあったが,生活できれば多くは望まない方が幸せだと気づくこともできた.転職に失敗したりでどうにもならなくなったら法律が助けてくれる.図書館もある.どうやら最低時給で生活を成り立たせたこの4年間で,将来への希望を覚えたようで,無駄な経験ではなかった.我が人生,盤石である.
