先週の礼拝では涙してしまった.牧師が信仰をもった証をする日だった.証のある礼拝の日はいつも自分の過去を振り返ることにしている.どれくらい遡るかといえば妻と出会った時からが多いのだが,この日は10年以上昔を思い出していた.私は高校を1年しかまともに通っていない.国立大学卒でも学力に自信がないのはそのせいである.空白の2年間.これが私の人生を決定した大切な時間だった.
主夫をしながら数学の研究をすると決めたのもこの時期だった.決めたといえど,願いのような形であったが,神は全て叶えてくださった.また,Webサイトを作りながら毎日文を読み書きする暮らしを思い描いていた.若くて感覚の伸びる時期に,高校に通わず街中で絵を描いていたことが,もう何にも代えがたくいとおしい.この時間を過ごしたことがそれからの人生を幸いにしたと思う.
受験という絶望的な出来事を潜ってしまい,もろもろのことを考えざるを得なくなってから,数学も絵もやめてしまい,新卒で入った会社を辞めるまでずっと考えていた.どうすれば自分が満足する人生になるのか.行動を起こした26歳の冬だった.受洗すること,結婚すること,低賃金だが好きな職を選ぶこと,を実行した.それからの幸福の連鎖によって,今はいつ死んだとしても満足である.
讃美歌を意味を考えて歌うといつも涙を浮かべてしまう.だから意味は考えない.礼拝中もできるだけ眠って身体を休めている.感謝の涙.神が絶望から,深い手の付けようがない絶望から,救い出してくださったこと.明日が続いているだけで奇跡だ,息をしているだけで感謝だ,そう思っていた嘗てのことを思い起こすと,現在の豊かな暮らしが限りない恵みであることを認識し,やはり泣いてしまう.神は全能で,信仰は奇跡を起こす.
