人生における欲がもうだいぶ消えてきた.やりたいことを達成してきたということである.研究の成果にも家族も信仰生活も満足している.労働環境も理想的だし,地域活動や趣味においても想像以上の内容を持つようになっている.37歳という年齢のせいかも知れないが,何が買いたいとかいくら欲しいとかどこまで出世したいとか,そういう若くて無知な欲望は,元々薄くしか持っていなかったためか,早くも消え果てた.
これから先の長い人生をどのように過ごそうかと考えている.この情報過多の時代,何かを追究したり求めたりすることは実に簡単である.この時代の流れに対し,逆張ってアンチ情報社会で生きてもいいし,追究の方向をもっと尖らせ極めてもいい.あるいは,情報から離れて平和に静かに生きる道を選んでもいいし,つながりを絶って少数の知己とひとり時間を楽しむのでもいい.意外にもなかなかに自由な選択肢がある.
望まない方向としては,戦い続ける,人脈多く,裕福に,広く有名に,地位や名誉を得る,というベクトルである.反対に,望む方向としては,静かに平和に,小さくミニマルに,無名に,健康に,がある.前者は20世紀的な,つまり前世紀的な価値だと考えている.後者はその前世紀を克服した今世紀ならではの時代価値だと思う.前者のように力を振るう生き方を選ぶ有名人はまだいるけど,私はその生き方を固く望まない.
今世紀的な価値を求め考えることは,私の残りの人生の主題になる.哲学や概念の流れに若い時から関心がある.もちろん,概念が時代を動かすという枠組み自体が前時代的で無効かも知れないとは思う.しかし,人間は何があっても哲学だけは続けてきた.概念が溢れ無限の組み合わせに融合しうる今,社会の隅からそれを先駆けて見抜き,しかし誰に読まれるわけでもない状態を維持する.これが私の余生で為したいことだ.
