承認欲求が簡単に満たされたゆえに,その欲から遠く離れ,思い出に収めることができる時代だ.実社会で競争し獲得し維持する権能など,得ようと求めなくても,その内面の果実はすでに若くして得尽くしてしまっている.現実の地位や財産や名誉など,得ても人生の足枷になりうるが,情報空間における承認体験なら,物理的実体も社会的状態も伴わないのだから,失おうと思うなら消して忘れるだけだ.ずいぶん簡単な仕組みだ.
情報空間を持たなかった前時代の人たちは,本当に誰もが地位や財産や名誉を求めた.誰もが得られるものではないから必然的に競争した.勝ち得た人もいれば,敗者も多くいた.勝者もその状態を維持するのが大変だったし,敗者は敗北感に打ち拉がれた.しかし,この情報空間に生きるようになると,競争の規模が小さくなるか雲散霧消し,競争なしで承認を得られる仕組みが作れるようになった.競わずに認められるのである.
私たちはその情報空間の栄えた時代に生きているので,前時代の地位や財産や名誉を求めなくなっただけでなく,価値を置かないし,そこから離れようとさえ考える.等身大の生活が送れれば良いくらいの規模感で人生を考えているので,背伸びや卑屈から免れ,前時代的な意味の欲も消えた.今の人たちの欲といえば,平和で静かで小さくほどほどで重くならない日々を生涯送ることである.前時代から見れば進んだ考えだと思う.
時代は情報空間の浸透で変わり続けている.多様性と言われる裏は,前時代の価値で暮らす人たちの力が見え隠れしているだけだ.今の人たちの価値は,前時代の人たちから見ればとても理解できたものではないと思う.しかし,多様性と言われなくてはならないのは,前時代の価値が消えつつある,今の人の多くが望まない価値になりつつある,という意味である.多様性によって認められる価値が,標準になる時代が今後続くのだ.
