少し,今の心の状態を整理してみたい.発端はおそらく,祈る会だ.毎週水曜に牧師とzoomで詩篇を読む会に参加していた.感想と近況を互いに述べ合い祈るという内容.そこで私は自分の見解や思想信条を述べていた.牧師もそれに呼応して自身の思想信条を主張した.それがまずかったのだ,エコーチェンバー現象が起きてしまった.狭い空間での共感が,思想信条の強化となり,危険な空間に変化していってしまった.
こういうことは教会では起こりやすい.今まで牧師はその辺りのバランス感覚を保っていたように思う.おそらく主に祈ることによって.しかし,私はそれを愚見で壊してしまった.日曜礼拝後の食事会でも,牧師は自身の主張を続け,聖書を正義に他の信仰を平気で排斥する言動をとるようになった.正義は視野を狭窄させる.悪意がないから厄介だ.神の正義を盾にしているので,私たち信徒はどうすることもできない.
私は牧師から距離を置くようにした.そして,牧師に同調せず異なる意見だけを述べるようにしようと思った.たとえ牧師からその意見を否定されようとも,正義に凝り固まってしまった沸騰した頭脳を冷ます効果はあると期待している.私もこの文章を書いていて,自分の感じた危険を正当化している気はしている.本当は危険でも何でもなく,愛の表現の形なのかもしれない.でも私にはそれが理解できず危険だと感じる.
高校1年の時に部活を辞めた時と同様の心的負担を感じる.昔の記憶がフラッシュバックする.その部活は1ヶ月後に退部したが,今回も教会を離れてしまうのだろうか.可能性はないとは言えない.ただ,イエスキリストから離れてしまえば,生きる意味を失い幸せから遠ざかると思う.だから私は教会へ行かなくてはならない.キリストは私を幸せにするが,牧師の思想が私を幸せにしたことはない.人間の限界であると思う.
