うつの時代があった.高校2年から3年間くらい続いた.その時の感覚はまだ覚えていて,今ふとよみがえってくる.何ゆえか身体が重く,何かやる気も本や食べ物を手に取ることもなく,横になって意識の中に浮かぶものをひたすら眺めていた.それしかできなかった.就活の時期も似たような状態で,卒研を進めるにも少ししかできず,企業研究や業界研究は一切できなかった.会社員になる思いがなく,就職しないことを選んだ.
今,少し似た感覚が肚にある.心が固定される重さの感覚だ.実際,何か勉強しようとか本を手に取ろうとする前にその手が重さで引き止められるような感覚である.頭は新しい知識や意味を求めているのに,手がまず動かないし,身体もそれに従っている.気軽に始められたはずのことが,何か重苦しい意識によってあらかじめ予期され慎重にしなさいと命令されている感覚.好奇心が制限される感覚と言ってもいい.
幸い,昔と異なるのは,この自由に文章にして言語化する能力を身につけていることと,信仰を持ったことだ.27歳で教会へ通い始めた頃の,あの重さを克服する奇跡とも言える日々は,忘れ難い.重さが幻想だったかのように私の精神は変わった.育ってきた自分を思い出すと同時に,うつで何も得られなかった時代を物事を避けていた期間として認識させた.教会のおかげで私は立ち直れた.それは確かに私の人生の記念碑だ.
重さが悪とは思わない.自然な作用と思うべきだ.好奇心の赴くまま始めるのも考えものだと常々思っていたところだ.自分の頭脳がこれ以上進めるなと言っているのだから,それに従うのが自然だというわけだ.今まで私の好奇心は多くの情報を仕入れてくれた.これからはそれらを活用するため貯蔵発酵させる過程に入ったのだろう.それはそれで有用な時期にある.今はうつであるというよりは人格形成の段階にいるのだと思う.
