相変わらず憂鬱で,今月は有給休暇を2日間取得した.平日,通勤するのも在宅で勤務するのも辛くなる時がある.職場での評価は決して悪くないが,評価などどうだってよく,給与額も差し置いてよく,問題は私が仕事で得たいものが,陶冶された人格であることが固くなった.職場の荒波と,生活に与える余波とか,私から恣意性を奪っていく.この状況を,例えば奴隷エピクテトスの思想を胸に乗り切れば,人格が得られると.
こんな人生が来るとは思わなかった.順境に違いないが,楽であるばかりでなく,何かの傷や少なくない騒擾や退屈という言葉で言いくるめられない時間など,他の人生ではあり得なかったとの確証は得られていても,今の人生は自分の人生だったと自信を持って言い切れない.偶然や怠惰によって流されて漂着した軌道がこの生活なのである.自分の成してきた実績,選んできた生き方の結末が,今のこの平穏で憂鬱な時間なのだ.
人生はそんなに大したものではないのかもしれない.素晴らしい奇跡は十回を数えれば充分に稀なのかもしれない.普段の生活は愛に満ちたものでなければ無に等しい.人間って弱いしいつ死んでもおかしくない.今外で落雷があったのだが,この屋根のある家がなければ簡単に死んでいるだろう.そんな人生の深奥を,今度の土曜に上野公園へ出掛けて振り返ってみたい.上野公園は私が青春を置いたホームグラウンドなのである.
高校生だった私は,将来の大きさに潰れそうだった.少しでも将来が楽になるように,様々なことに首を突っ込み,修行の身と定めてきた.その結果が今のこの暮らしだ.これは青春期に立てられた計画の成功でもあるのだが,青春の頃には見えなかった盲点は未解決のまま.今になってその見えなかった部分を上野公園まで直視しに行く.過去を振り返る機会が最近あまりなかった.上野まで行かなければ思い出せないこともある.
