思い出は私の記憶の中にしかなく,今その地には思い出のままに存在しない.この街に住んで最初の2年,私は病気がちで,障がい者福祉と共に暮らした.作業所でボールペンを組み立てながら,安い給与と障害年金でやりくりする中,何のための人生なのかよく考えたものだった.お金を払わなくてもいい楽しみを多く見出したことは,この時期の大きな収穫である.散歩,図書館,教会など.当時は幸せだった記憶しかない.
この街を隈なく歩いたため,今もその道周辺を歩くと,当時の記憶が重なって見える.施設自体は今は移転したものもあるが,当時出会った障がい者の知人たちや話したスタッフの何名かは,今でも繋がりがある.この街でできた繋がりが今も続いているのはありがたい限りだ.思えば今の暮らしの繋がりは,この街で10年暮らしてきた遺産である.それらはいずれもきっかけは数年前に遡り,福祉や教会などを源とする繋がりだ.
障害年金と書いたが,私は今の職場に転職してから,受給を自ら辞めた.賃金が平均から少し安いくらいで多かったのと,正当な手続きとはいえこれ以上社会保障費から頂くのは申し訳ないということで,お金を多く求めないことにした,制度を活用して資産を増やそうという流れに乗らないのはこれがきっかけである.本当は今も受給資格はある.毎年数十万円になる.これを5年間,300万円くらいを,私は受け取らなかった.
今年は資産を増やさないようにしようと思っている.プラマイゼロを目標にしている.積極的にお金を財に換えている.人に教会に財団に寄付し,ふるさと納税が寄附金控除でできないほどになっている.そういう年があって然るべきだと思う.生活は過去からの連続であることを思う.今のこのゆとりは,過去からの配当,贈り物だ.今後年を経るごとにそう考えることが多くなるだろう.若い時の工夫の積み重ねが大事だ.
