この1年を,私は収入いっぱいに使って暮らしてみようとしている.今のところ達成できている.お金を使うだけだと考える人もあるだろうけど,私はお金を使えない人だった.無駄遣いせずにお金を使えるようになりたいというのが目的だ.今年は長く使う物を多く買ってきたので,来年も今年のペースでお金を使うことはできない.来年は嫌でもお金が貯まるだろう.来年は今年買ってきた物を使い倒し,株式を買っていると思う.
私の稼ぎと同じくらいの人は,資産を増やしている人は半分程度で,もう半分はプラマイゼロか赤字らしい.そう聞いて,私の収入分の暮らしってどんなものか体験してみたいと思い,冒頭の方針を実践している.といってもわが家は共働きで子供がないので,私の稼ぎを私で使い切る生活は,同年収の暮らしよりも贅沢なものになる.募金献金や送金やプレゼントを多くしているので,実際は自分のために使う額はやや多いくらいだ.
稼ぎを使い切る暮らしをしてわかったことは,欲しい物は必要な物ではないということだ.贅沢とはそういうものだったのだ.必要ないがあればより良い,いつか使い切るだろうし今買えば将来も役立つだろう.そういう了見で買う判断をしている.それで物が増える.未来の自分が不要と判断し手放す絵が見えないから,買う判断が有効になる.消費とはその程度の判断の集積であり,お金が減っていく理由や原因であり内実である.
この1年の実験的経験は,生涯で必ず役立つ基準になると信じている.買おうと思えるのも若いうちだと,地域の諸先輩からよく聞いたものだ.今の消費ペースは将来ずっと持続しない.今くらいだ.買おうと思えるのも今のうちなのだ.すでに今,もう買おうと思える物がなくなっている.調べればまた見つかるだろう.そうやって無理に稼ぎを物に変換しようとする行動は,自分の感覚を破壊しながら基準を創造することである.
