死を知るところから真の人生が始まるという.要するに,塵から生まれて塵に返るだけの存在である人が,わざわざこの世に命を享けて,信仰を持って天に召されるだけのゲームをさせられる.信仰を持っても,この世での長い生活を求めなくてはならない.そんなこの世での百年余りの命に何か意味があるのか.目的を持って生き,事業を営み,理論を開発し,人類の発展を掲げ,多くの偉人は生きてきた.その生き方は正しいのか.
私は小さく生きようと決めている.できるだけ周囲や環境に影響を与えない生き方.エネルギーを節約し,経済規模も小さくし,活動を減らし,少ない物で少しずつ楽しめればいい.大きなことを成せば,それは生きる意味を大いに感じられるだろう.容易なことだ.しかし,小さく生きてかつ生きる意味を得ることは,簡単なことではない.修道院で植物の世話をするくらいの落ち着いた信仰がいるだろう.そんな生活を営めるのか.
この世に生まれた理由,この地球で人が創られた理由.あるいは目的.聖書に書かれているのは,この世を統治するためであり,神に似たものとして互いを愛するためである.このような目的のために生まれたわけだが,私には統治する意志も,愛する余裕も足りない.非西洋的な国で生まれ育った人としての疑いもある.統治し愛する生活の何が楽しいのかと思ってしまう.何もせず安逸に流れて暮らすのが正解であると考えてしまう.
現代は大きく作り変えられた時代だ.何もかもがすでに作られている.その多くは人によって設計された.神の手は悉く隠されてしまっている.神を見出すのが困難なのである.人の作り上げた物を崇拝し,それに囲まれて暮らす生き方が,最も楽しく楽だ,という世界になってしまっている.果たしてこれで良いのか.死を忘れている.塵だったことも塵に返ることも知られていない.人間の悲惨を見ないで生きるのは薄すぎる.
