もう少し考えた方がいい.私たちの生きるこの現代文明は,社会や技術によって巨大な構築物になっている.でも,その実体となる人は,塵から生まれ塵に返るもの,構築物もどれだって塵からできたもの.同じようなものである.つまり,私たち人間も,人間が作ってきたものも,塵に始まり塵に戻るものなのだ.人も物も元は同じだし,災害で破壊され,それを防ごうとしても,この巨大な自然の力から完全に免れるものではない.
この巨大な現代社会が,崩壊する可能性をいつも見ていなくてはならない.いつ壊れ流れても,それは自然なことで,塵に返っただけのこと.失ったら返したと思え,と古代の哲人は言った.そのとおりなのだ,今の時代であっても.損害を過大に恐れ,責任を人に押し付けている.それが現代の社会なのだ.法律で明文化されていない人の動きはまだ広くある.法律にすべきかの議論があるからだろう.常識に照らす人が少ないのだ.
首都直下型地震を,私もいつ来るかと心に控えている.もし私の住むところが崖から崩壊し,私の持ち物が全て破損しても良いように,大した物はないと思うことにしている.災害に遭っても保持したい大切なものなんてあるだろうか.買い直せば済む物ばかり,考え直せば済むことばかりだ.命だって塵に返るだけだ.この都市環境はいずれ壊れる.都市は永久に存在し続けるものではない.人がいくら変え続けても持続できないのだ.
「都市は経る 都市は疲れる 都市は病む 都市は壊れる 一束の花」昔私が詠んだ歌.でもなお,存在し続ける強いものを求めてしまう.存在し続ける幻影を物の前に見ようとしてしまう.存在し続ける強い物なんてこの世にはないのだ.生き物も組織された物質も塵に返るだけだ.持続可能性が標榜されるが,永遠の持続は不可能だ.できるだけ長く持たせるというだけの標語だ.人はそんなに強くない.人が作るものも同様に強くない.
