楽しいものも楽しく思えない日が続いている.人生でやるべきこと,やっておきたいこと,やってみたいことが,お粥のように溶けてどうでもよい状態になってしまい,何をしてもどうなってもいいと思える.目標や指針みたいな行動を律するルールみたいなものが消えてしまって,何をしたらいいかわからない.多分,明日からは仕事に行き,帰ってきて寝る,というルーティンの中に生きることに疑問を感じないような生活になる.
楽しくなくてもいいと思う.それは,今まできらきらするほど楽しい思いをしてきたから,何かの軸でバランスするように,どうでもいい時代を迎える時が来たのだろう.時間をこうやって過ごしたいというこだわりがなくなり,どうだっていいことをさせてもらって時間を潰していく,それで体験や収入をいただき,安定と排泄を出力するような生活になる.それが人生だというわけだ.これがしばらく続くことに対し,何も思わない.
体力がついていかなくなると言われる年齢に,私も差し掛かっている.体力が持たない実感がなくはない.活動を絞らねば持たなかった先月,合唱団などいくつか辞めてみた.職場の混乱や変化が,何か大事だったものを奪っていき,何か別の大事なことをするように仕向けられている感じだ.それが何か.読書や祈りだろうとは思う.今の習慣のうち辞めるべきことも,まだいくつかあるのだろうけど,それも辞めてしまうのだろうか.
自分の幸せを作っていた活動を整理する時である.継続もできたが,整理する判断をしたのは自分だ.自分の責任で引き受けた状況だ.何のために生きるかわからなくなって1ヶ月経つ.死ぬことも厭わないメンタルである.今死ぬと後悔するとは思わないでいたが,そうでもなくなってきた.死ぬ前にやりたいことがある気がしてきた.それが何かはまだわからない.でも,今は死ねない.そういう状況になったことはいい意味もある.
