貧困という文字列で検索すると,生活保護を受けるに至った人や,会社員だが貧困世帯である人の記事をみかける.職場柄,知人に生活保護を受けている人や障害年金を受けている人,低賃金の人が多いので,他人事ではない気持ちで読んでいる.おそらく多数派の日本人でこのような貧困の知人友人を持つ人は珍しい,貧乏な人と一緒にいると貧乏になることを謳った記事もよくみかけるので.金持ちは貧乏人と付き合わないことがふつうであるようだ.
貧困のうちに暮らしている人に,昔から関心がある.あるいは障害を持つ人に小学生のときから交流してきた.自分は金持ちにはならないと決めていたし,余計なものを買いたい気持ちが生じないように生活したいと思っていた.大学にいたときは積極的にものを買ったが,そんな生活はそれで最後.自分が障害者として認定される人生を歩むとは想像していなかったけれども,おかげで障害者の知人友人関係には恵まれた.
記事によると貧困に暮らす人の職業は,派遣であるというよりも正社員の事務職や保育・介護・福祉関連の職,いずれも正社員であることが多い.事務職は簿記やOfficeの資格,保育士・介護福祉士・医療事務の資格が必須な業界であろうから,人生を考えて勉強してきたはず.それでも実家から出ると月に貯蓄できるのは高々数万円で,将来に希望を持てず病気になってしまう.
親の世代とは異なるのだとばっさり認識せよという記事や,若いときは昔からそのくらいであるとの記事もある.現在の都市を形成する建築物や流通網や情報資源は,確かに親の世代が持たなかったものだ.それらで暮らしが豊かになった分,経済的な余裕を持つことが嗜好品的位置づけになった.余裕がある人が費やす産業はしばらく盛んになるとか,資産は人を必ずしも幸せにしないとか,そういった知恵を持つと,誰かより少ないが心理的に安定できるくらいの資産を形成することは難しくない.
親の世代は何も考えなくてもお金に苦労しないで生きていけた世の中だったとすれば,私たちの世代のほうが裕福になれる.ほどほどの物財とたくさんの情報財を利用しながら生活を定義して設計していけるからだ.特に神さまにすべてを委ねる人生を選んだならば,神さまに守られてこれから先も導かれて,最高の人生だと思って天国へ出発できる.知っている人はほんとうに少ないが,現代は圧倒的に信仰が有効な時代である.明日からでも近所の教会の門を叩いてみると,真にいい人生が始まるのである.
