10年前,社会人になったばかりの頃,給与とは気づいたら振り込まれるものだった.仕事=遊びになっていたので,遊んだ結果ついてくるものが給与だった.つまりおまけだ.それから経験が上がるほど,給与が生活と結びつくほど,給与は将来のために貯えるもの,多いほど良いものと考えるようになった.障害年金が300万円下りた時,全額を投資し,1千万円にした.それが私の中で頂点の経験になった.それからまた変わった.
今は,給与で満足を買えたと思っている.生活に必要な基本的なものは買い揃えられた.良い物が何かわかるようになってきて,良い物を扱っている店も知り,どこで買えば良い物が手に入るかも知っている.しかし,物は揃っているので,買い足す必要がない.好きなこともお金次第で先に進める.お金は探求の推進力になる.しかしそれ以上のものではない.探求を進めるには,自分でどのようにやるか,どれだけやったかだから.
これからは給与が余る.給与は使い切る必要はないが,本格的に使いきれなくなる.新しい経験をするために,機会損失を避けるために,経済の循環のために,使うべきだと考えてしまいがちだが,ランニングコストを低く抑えても満足して暮らせるので,使い切る意味が消える.では何のためにお金を得るか,何のために働くか,という問いが現れる.これは私が直面している問いで,働き続ける目的を求める気持ちからくるものだ.
仕事が遊びでもなくなった.組織内での責任も任せられてきたし,社会の中で活動する責任も伴う.自分以外のことも考えるようになる方向で成長が期待される.資格受験を通して勉強すべきことも出てきた.今の仕事は難しくないし,他業種と比べて自分に向いていると思うし,将来も自分にできる職業だと思える.幸福なことだと思う.このような仕事の道を進む中で,給与はついてくるものだと,また思えるのかもしれない.
