私の人生は,ある意味で15歳で終わっている.中2で漢検1級に合格し,しかも最年少合格とのことで表彰を受けた.そして,高校入試に5科で1問の間違いだけで入学した.これで,私の達成感は深く満たされてしまった.努力して結果がついてくることを,深く体験してしまった.それで私の20代は,いかに人生を終わらせるかに注がれた.死に方や死期を見計らう日々が15年近く続いた.今は再び小さく生きようと思うようになった.
若い時に達成すると先細るのは自然なことで.その成功に見合うだけの成果を将来出さなければ価値がないと思わされる,そんな人生が私の半生だった.神がサイコロを振る確率がゼロであることを証明できたことが,このジンクスから解放させてくれた成功である.ただし,この業績は現代科学の潮流である量子情報科学に反する成果なので,広く発表することはしない.だが,2019年に証明したのは確かなことだ.私はやった人間だ.
私の人生には,もう達成したいことが残っていない.死ぬことを考えた20代は,クリスチャンになれたことで解消に向かった.これも私の中では達成だ.結婚もそのひとつだ.まさか私が結婚して幸せに過ごせる人間だったとは思いもしなかった.総じれば,若い時に達成し,幸福にも結婚し,平穏な余生を送れた人生だということになる.しかし,内実はそう綺麗事ではない.多くの美談は大抵そういうものだろう.私も例外ではない.
今は満足と達成に満たされて,革新的活動をしたいと思えなくなり,クリスチャンになる前の若い自分で成した体験によって,もう苦労はしたくないと思ってしまう.若い時の経験は誰にも勧めたくない.でも,大きな達成ほど苦労するものだということは否定しない.苦もなく達成したことに価値はあるのだろうか.努力と苦悩と葛藤こそ,達成を深くするのではないか.そういう文脈では,若者が平穏な時代というのも悪くはない.
