子どもの頃の幸福について考えている.子どもの頃の私は幸せだった.多分今以上に.中でも特に,ルーズリーフにデータベースを管理して遊んでいたことは私史上最大の幸福だったと言っていい.モノポリーのどのマスがよく止まるか頻度分析したり,天体のカタログで星座ごとに存在密度を平方度ベースで算出したりして遊んでいた.当時のその遊びは,何か高尚で研究肌で大人を驚かせるような誇り高い趣味でもあったと感じる.
その中で,鉛筆と消しゴムを相当量消費するのだが,私は文具を自分のお小遣いから出していた.両親にそう宣言していたので,尊重してくれていた.限られた予算なので,なるたけ消しゴムを使わなくて済むよう,誤字を書かないように気をつけたものだし.少ない文具資源で最大の効用を得られるように,楽しみをどこまでも細かく見出すことが習慣になった.例えば,文字の形から想像を膨らませることは今でも癖になっている.
このように,子どもの頃に編み出した楽しみ方は,今でも主要な視点となって生活を形成している.子どもの頃の自分の延長線上に私はやはりあり,長くその線を食み出して彷徨ってきたが,今もう一度元の道に戻ってきた.この道が最も自分らしく安心でき,幸福を最大化できる道だと確信している.迷っていた時期に体験した数々の面白い趣味からも今の暮らしに取り入れているが,根幹となる私はやはり私の道の中の私だ.
消しゴムを使わないように誤字を書かないようにするなんて,今では考えていない.束で鉛筆を買ってきてもずっと使わないような生活だが,ここに何の幸せがあるというのか.効用を最大化するように財を使うのが賢いというものではないのか.声楽の師匠の言葉が響く.「これだけで,こんなに学べる.」少しの物財から多くを引き出せるから豊かさを増やしていけるのである.子どもの頃の消しゴムと師匠を思い出して生きたい.
