38歳を目前に,いろいろと揃ってきた.労働,収入,衣食住に加え,生活知識,経験,交友.時間にも余裕がある.買い物も,買うではなくて,買い足す感じになってきた.買い替える気にはならない.今まで買い揃えてきた物財を組み合わせて整えるために大事に使い,大体揃っている状態を見て満足を覚えている.ここまで来たのだ.あれほど荒れ狂っていた人生も,ここまで整ったものになってきたのだ.満足と感謝を覚える.
今秋は,今までお世話になった若いYouTuberのブランドから2万円くらいアイテムを買うほか,今まで欠かさず見てきたYouTuberに1万円ほど投げ銭する予定だ.募金し妻に送金し教会献金しても余るほど使い道に困ってきたが,好きなように給与を使えるようになってきた.自分で稼いだお金を自分の望むように使うことの喜びを,38歳を目前にようやく満足のいく形で身についた.お金を使えるのはなかなかいいものだと思う.
この40年弱の経験から,喜びそのものさえ捉えていれば,幸せに暮らせることが言える.お金や物ではなく,喜びそのもの,直接感じられる感情の中で,喜びさえ感じられれば,その日は楽しい日だし,幸せな時間になる.喜びそのものは,いろいろな邪見によって隠れたり消えたり褪せたりする.そういうレンズが外れた状態,何もかけない状態であることが重要だ.喜びを直接感じられるように自分を整えることが大事なのだ.
幸せになるためにお金や物があるのだから,幸せであれば全て得ているようなものだ.幸せな1日を重ねて1年,10年と続いていくことが,人生の目的,幸福の実態である.だから私は毎日を幸せにすることを最重要ミッションとして残りの人生を過ごすことにした.そのためにお金を使おうと思えば,使う宛の誰かが幸せであることを祈ることが自然とできる.誰かの幸せのために物を買い,お金を使いたい.その代価が喜びと幸福だ.
