結婚前,つまり妻と出会った時,私は文化的精神を宿していた.今振り返るに,その秘密は文学だ.当時の私は文学を好きで読んでいた.本と音楽と少しの食べ物があれば,ずっと生きていける,と真剣に考えて生きていた.妻も文学が好きな人物で,私たちはそんな縁で入籍した.その後,妻は文学人であり続けたが,私は職業探しもあり文学から遠のいてしまった.しかし今,時間もできたことで,もう一度文学を読もうと思う.
さっきまで深夜1時だというのに,同僚と食べたペルー料理店で「インカコーラ」なる黄色の炭酸を飲んでしまったせいで,カフェインが抜けない.6時間で半分しか抜けないというこの物質を摂取したのは,教会の愛餐会以来1年ぶりで,14時以降に飲んだのは愚かな独身学生時代以来になる.それで眠気が来なくてグールドのゴールドベルク変奏曲をYouTubeで聴きながらウエルベックの「素粒子」を読み進め,これを書いている.
文学的な生活は,考えることが増えるのと,生活自体が文学になるのとで,世界がまるで変わってしまう.それまでの幾何学的で印象絵画的な平和な安穏とは異なる,全てがヒントであり作文化可能であり生活自体がストーリーである快酔に変貌する.それは創造性の切り替えである.右脳的から左脳的になるといえばいいか.右脳的である方が希少性があるそうだが,右脳が活きた状態で左脳もそのまま活きるのだから強いだろう.
こうして私は文学に回帰した生活を始めた.私の過去が胃から上へ迫ってくる.情景が口から出そうだ.忘れきったと信じ込んでいた記憶がこうしてまるで腸から沸いてくるのだから一体不思議だ.どうやって神経は記憶を保存しており,どうして何をきっかけとして思い出されるのか,そもそもなぜ思い出は思い出される必要があるのか.なぜ保存される必要があるのか.こういった疑問が私の文学のベースになっていくのだろう.
