今日で38歳になった.実家の人たちから誕生祝いのLINEやメールが入っていたので,起床して一息ついてから返信した.38歳という年齢がまだ若いと感じられるのは,私の知り合いが皆50代以降だからだ.40代は人生を謳歌する時期だと口を揃える.今日は雨なので午前中は書斎でベートーベンの弦楽四重奏曲をかけながら,電子書籍の小説を3篇読み,時々祈った.先月末に新しく揃えた服で,夕方は目白までコンサートに出かける.
読んだ小説の中に,私の出身大学と同じ女性作家がいる.私より2学年上だと思う.その小説の中に出てくるコンピュータールームや掲示板やオレンジのクレープ屋とは,私が学生時代に毎日見ていた学内の風景のままだった.ここまで読んでいて思い描く情景と一致してくる小説はない.いやでも大学時代のことが思い出された.長いようであまり思い出のない5年間だと思っていたが,いざ鍬を入れると思い出が湧き出すように蘇る.
私は多分あまりものを思い出して過ごしていない人だ.過去は捨てて閉じ込めるためにあると思っている.なぜなら,過去から思い出をうまい形で掘り起こせないからだ.いつもネガティブな思い出しか出てこない.しかし,小説は私の畑から意外にも綺麗に整った形で思い出を掘り起こしてくれるから不思議だ.思い出は連鎖している.今は社会人になって医療事務で働いていた時,最寄駅の繁華街を歩いた風景を思い出している.
過去とはそれほど悪いものではないかもしれない.ただその過去のせいにしてしまうだけで,現在を迎えているのは過去を美しく過ごしてきたからで,美しい出来事に囲まれていたからだ.もし過去も現在も美しいものでできていると悟れたら,産まれてから死ぬに至るまで縦横無尽に思い出を回遊したくなる.しかし現実はなぜか石を積むように固く築かれ,美しさが珍しくなるような建造方法を採っている.これを変えることは可能か.
