目白でピアノとソプラノのコンサートに行った.駅に着くとすぐ階段を下ったところに見えた喫茶店に寄った.女子大生がたくさんいる,メルヘンでハロウィンな内装.ココアを頼んだ.カップの縁が生クリームが囲われていた.鞄中に忍ばせていた本を取り出し1章読んだ.過去や未来よりも今が大事だという内容.現在とはプレゼントなのだ.会場である聖書学校に少し早く着きそうだったので,中村彝氏の自宅を訪ねてみた.
コンサートは演目が20個を超える満足感の高いもので,その価値からCDも買って帰った.ホロコーストによって殺されたり忘れられた作曲家の作品群が演奏された.聴きながら,音楽は今の芸術だと思った.今奏でた音の連続が音楽なのだから.その音の連続が美しいイメージを思わせるので,イメージに遊べると今は瞬間でなくなる.まとまりのある時間が今ということになるだろう.十数秒だろうか.忘れられるまでは今だと思う.
本で読んだ大事な今とは,今というより今日だと思う.夜1日を振り返るならば,あるいは,週末に1週間を振り返るならば,いつでも今に入れる.今を生きられる.思い出している最中こそ今だと思う.あるいは,思い出す前のインプットの時間が今で,それを思い出している時もインプットに劣らず今性が高い時間だと思う.今の今らしさは感覚や意識の中のリアリティだろう.そうであるなら,いつの出来事でも今にできるのだ.
こうしてしたためている時,半日を思い起こしている.今らしさは脳内の映像再生であるから,インプットとして感覚した時ほどの臨場感はない.全的な体感もできない.しかし,記憶の端々が思うようにつながって,自分の望む1日に再構成されていくのを覚える.そう,インプットの時点では作品や環境のペースだったものを,再構成の際は自分の思うようなペースになる.つまりインプットを素材に自分が今を作り出しているのだ.
