今まで,自分がどう見られるかばかり意識してきたが,今後は,自分は人をどう見るかということも大事になる.神の導きによってか,いい人たちに囲まれて今までやってきた.人は元来いい資質を誰でも持っていて,それを私の存在で引き出してきたから,私は人に恵まれているのだ,と思い込んできた.私の前では,評判の芳しくない人であってもいい人になるからだ.そういう場面は本当に何回もあったし,人からも評価された.
私自身,そのように人の内面を引き出す才能があると思ってきたので,目の前の人がたとえ悪い性質が目立っていても,私が行けばいい人として振る舞ってくれる.そういう確信が実は今でもあって,それは私が満足できるくらいには真実で,この思い込みをこれからも利用したいと願っている.どんな人とも先入観なく向き合えるからだ.その勇気を提供してくれる,とてもいい思い込みなのである.こんな利点を捨てたくはない.
人は思い込みが誰しも多少はあるものだ.あるいは,思い込みを消すことが善とも限らない.もし思い込みがない人がいるとしたら,万物の理論を知悉した人類最高の知性の持ち主であると推測できる.誰でも思い込みはある.大なり小なり,人類共通の思い込みもある.無知とも言えるし,軽率とも言えることもある.思い込みを持つこと,それを否定しなくていいことを,全力で肯定したい.神が与えたもうた才能かもしれない.
私は人をどう見るか.人間一般として見てきた.個人の性質を優先して見ることはほとんどしてこなかった.あの人はああだと私は思うが,人間とはこういうものだから仕方ない.そんなふうに見てきた.でも,私もそろそろいい歳の中年である,あの人のここがいいよね,ここは欠点でもあるけどこんな利点になっているよね,といった話をしたい.できるようになりたい.人を語れれば,文学を語れ,映画も語れるだろうと期待して.
