食べ物と着る物があればそれで満足しなさい.そう聖書でテモテは述べる.一方で富は不確かだから頼るに値しないともある.私の収入で充分だという意味になるし,スーパーに行けて買った食料を運べるだけの健康な脚力,そして好きな洋服が並んだ書斎のワードローブ,以上で満足せよということである.はい,私は満足します.そう素直に言える.満足する.では,余ってしまう富を何に使ったらいいか.これを考えたい.
ひとつは,妻に送金することだ.わが家は妻が大黒柱だ.家をローンで買ってくれた.その足しになるように送金するという考えだ.今年から毎月1万円を送っている.それを増やすという案だ.来年から固定資産税を私が払うことに頼んでそうしたので,積み立てようと思うが,そうして妻の金銭的負担を減らすために私の余るお金を使っていこうとするのは,家族として道理が立つ,批判されない真っ当な考えのひとつだと思う.
もうひとつは,寄付だ.寄付する団体を選ぶということだ.心から必要だと感じられ応援したいと思う事業に寄付するという考えだ.どんな団体でも誰でも,まとまったお金をもらうのは悪くない.力関係が生じないように細心に注意する必要はあるが,まとまったお金があって初めて動けることも少なくないだろう.何かが足りないとか,人が足りない,場所が足りない.そんな不足を補填できるなら,寄付する価値があると思う.
最後は,将来の自分に送るというもの.今は余裕があって余って困っているが,将来はそうでもないかもしれない.現金で持つのではなく,投資という形で持つことで,インフレリスクを免れ,値上がりも期待できる.もちろん価値が下がることがよくあるから,金額は減るかもしれない.でも,衣食住に満足できて富の心配をせずに暮らすことが目的なので,金額価値が上下してもそんなものと思って見ていられる余裕が身につく.
