今年の1番の反省は,キリスト教から離れたことだ.8月ごろから2ヶ月くらい続いた.教会の日曜礼拝を何週も続いて欠席してしまった.きっかけは,牧師が神道を否定したことにある.それ以来,キリスト教を相対的に見るようになった.これは私にエキュメニズムの視点を授けた出来事だったと今では思う.なので,離れたことで得られたものがあると思っている.無駄だったとは思っていない.自分の思想を確認できた出来事だった.
しかし,キリスト教から離れて分かったのは,消費が増えたことだ.ストレスから消費したのだと思ったが,そうでもなく,キリストを離れたら,物質信仰を持つしかないことを体験させられた.キリストにつながりそこにとどまれなければ,物質とお金を信仰するしかなくなる.それは信仰と呼ぶには幸福をもたらすとは言えない代物で,多くの日本人が買えないストレスを溜めて生きている現状を知っただけでも価値はあったと思う.
この体験から,キリスト教信仰は,物質的禁欲とは異なることがわかった.そもそもクリスチャンは物質に依存しないのだ.しかし,物質信仰は,高機能でよくデザインされた好きになれる物に何よりも価値を置く生き方だ.お金を多く持てばより多くの良品を手に入れてより良く暮らせる.その物質生活に終わりはない.物は常に改良され,新製品が出続けるので,消費の沼から出ることが難しくなる.生活レベルを下げにくいわけだ.
11月から再び日曜礼拝に毎週通うようになった.支出も減って落ち着いてきた.これからも教会礼拝を中心とした生活を送りたいと願っている.消費を抑制し,物を増やさず,貯蓄する生活に後ろめたさがあったが,節約して生きている人はこの円安の世の中,普通に多くいるらしい.そんな中を私のように信仰と共に生きられるのはすごい恵みである.世の中の人の暮らしを理解することはしないしできない.沼は不幸に陥るだけだ.
