毎日が同じで退屈だという人はほとんどいないのではと思うくらい,毎日が溢れすぎて疲れる.同じ日は2度と来ない,という言葉が希望でなく箴言として響く.本来は後者の意味だったろうけど,20年前の私は同じと思えてしまう毎日に心底退屈し,絶望さえしていた.今は刺激を求めることがなく,脳を活性化するのでなく休めるための知識を書いた本を手元に並べている.20年で様変わりした大きいことは,私にとってはこのことだ.
同じ日を求める気持ちさえある.年末の最終週は毎日在宅勤務で,一歩も外出しなかった.仕事終わりの時間に悩んだり計画や意見を練ったりしたが,その精神を使う時間が今振り返ると非常に有意義だったなと思う.情報を得ず,読書も運動もせず,頭を使っただけなので,同じような毎日だったと言える.でも,充実を覚えたし,安定していたし,悩んで乱されたが結局は平穏だったし力を与えられたと感じた.いわば充電である.
私は疲れて参ると,書斎に缶詰になることがよくある.自分に充電する方法として覚えて使っている.刺激を外に求めるのは手軽だし楽しいことも多い.でも,自分の中に受けた刺激を整理する時間もまた,充電になる.多く刺激を受けすぎているので,外から何も刺激をもらわなくても,自分に刺激を与えられる.それは豊かだということに近いと思っている.何も与えられなくても,何も与えなくても,自分だけで閉じて豊かだと.
現代や未来は,こうした自分で閉じて完結する生活を理想だと考える人が増えそうだ.刺激を自分で取捨選択するのはもちろん,自分の感情や気分にフィットする刺激だけをできるだけ多く消費するのが今流行っている.それが心が今最も快適でいられる方法だという.でも,本来弱くふにゃふにゃの心は,ほっといて自分で飼っているだけだと,萎縮したり乾いて蒸発してしまわないか.閉じた時間も大事だが,それだけでは足りない.
