自分の好きなことを見つけて仕事にしたい,と自分を追求している若い人を動画で見ている.すごい真面目だなと思う.仕事を人生の重要なこととして前提し,仕事を通して生きる喜びを得ようとしていると思う.私は仕事を人生の重要な要素だとはとても思えない.今の仕事は好きなことで得意なことであるし,社会的に大事な仕事であると思うけど,そこに生きる意味や目的や生きがいを求めようとは思えない.そこまで価値はない.
私は宗教的な人として生きる.これはこの10年で自然とそうなったことで,それが最も幸せでいられる生き方だと確信しているので,これからもずっとそうして生きていきたいと思う.外れたくないと思っているし,そうならないよう祈り願いたいと思う.現代では少数派の生き方だと思う.信仰以外に生きる目的なんてたくさんある.なんでもありの時代だから.でも,その中であえて私は宗教的な人として生きることを選ぶのだ.
なぜなら,人が人を導いたり幸せにしたり救ったりすることは,一時的には可能だが,永続してはできないからだ.神のみが可能なことが存在する.現代技術も100年後まで持続可能ではない.信じるなら,一時的な助っ人や便利なものではなく,永久に保証されている存在がいいと思う.それが神であり,神についてもっとよく知ることは現代をより広く知ることになる.だから,私は神を学ぶことでこの世を広く知りたいと思う.
宗教的な人としては私はまだ敬虔でもないほどなので,生活を改善する余地が残されている.でも,信仰を顧みることで生活をも反省することができるのも,宗教的に生きる恵みだと思う.身近なことや世界のことなど,より多くのことに関心を持ち,いろいろなことができるようになり管理するようになれるのだと思うと,宗教的に生きることで人生に必要なことの全てを得られる気がしている.そういう意味で私は信仰を生きたい.
