私はこの人生において,成功を追い求める段階にはもうない.実のところ,すでに満足しきれたほど成功を終えている.いつ死をもってこの命が終わることになってもいいと思って日々の時間を過ごしている.今38歳であり,これからが働き盛りだと人には言われるのだが,一般的にはそうかもしれないけど,私は実は盛んに働く動機がもうない.私の収めた成功は仕事とは別のところであり,仕事で成功できたわけではないのである.
この私の成功とは,具体的には,数学上の課題を達成したこと,妻と結婚し生活を共にできていること,信仰を持てたこと,両親の望むような職業に就いていること,そういった多岐に渡る人生の達成が,私の望む以上の形を伴って結果し,若い頃に私が胸に抱いた夢を悉くそれを大きく超える形で実現した,そのことが私にとっては成功を意味するのだ.いわゆる,叶わなかった夢がないのだ.この人生は私にとって後悔が何もない.
そんな心境で,これからの人生が与えられている意味を考えてみる.というのも,もし達成が命を享けた意味であり目標だったとするならば,神さまはこの命をすぐに奪っているとしてもおかしくない.まだこの世で生を享けているからには,まだ生かされている意味なり目的が残されている.だから,私はそれを祈りつつ知ろうとしなくてはならないか,あるいは知るために考えて行動することが求められてくる.終わっていないのだ.
実際,それを知ることは難しいと思う.大抵の人は,それを知ろうと思う人であっても実際に知れるのは死の際だったりすると聞く.だから難しい課題なのだと思う.仕事か何かに取り組んでいる中で見出すのが普通であるとも思われる.もし何かの活動が,自分の達成や自分が楽しむためではないのであれば,それはここで求めている意味や目的なのだろうと思う.今までの私の願ってきた仕方とは異なるかどうかが,その判断基準だ.
