仕事を減らしている.収入が私には多すぎると感じる.毎月かなり余るので妻に送金しているが,自分の将来のために投資しようという動機が持てない.すでに毎月4万円をNISAの積み立て,そしてiDeCoを満額積み立ていて,老後をそれらと年金で過ごす予定でいるが,それ以上残っても使い道が見つけられず意味がないと感じる.それなら何か有効に使ってくれる人のもとに行き渡った方が,お金も経済も喜ぶだろうと思う.
欲しいものは長い間ないが,必要なものも無くなってきた.必要なものを見つけるだけでも難儀する.買う物が尽きてきたのである.買う物をわざわざ探してきて買う,という行動をこの5年以上続けている.欲しいという気持ちがうまく持てない.確かに,必要なものは探し出して,買って使っていると,まあ買ってよかったかもしれないと思うものがいくつもあり,しかしそんな買い物のために働いたとも思えず,動機がつかない.
クリスチャンとして,富に望みを置かない生き方をしていると思っている.物にもお金にも望みを置かない.むしろ物もお金も軽蔑して生きる.そんな態度で生きていいと肯定されているようで非常に生きやすい.むしろそれこそ神の勧める生き方であり,多くの人はそう生きられないと語られるので,劣等感の反対な気持ちにもなる.この生き方の解釈はしかし難しい,お金を使わず貯めているだけでは,富に望みを置きかねないから.
老いて必要なだけ貯める.この按分を,今はうまくできている気がする.老後であってもたくさん残さないというバランスだ.私が多くのお金を持っても,うまくは使えない.むしろ悪に脅かされ,恐れが増し,困難を引き受けなくてはならないだけだ.これを私はこの10年余りの経済経験で熟知した.大きなお金に憧れず,何歳であっても欲せず,多い分は必要な人に分けてしまう.それが私が経験から編み出したお金の使い方である.
