ものづくりで食べていこうと考える人は昔からいる.工場や職人だったり,製造系の技師や設計士.ものは生活に必要だと思う人がいる限り,ものは求められる.今は情報の時代ということで,コンテンツを皆誰でも作るようになり,コンテンツ作りで食べていこうと考える人は増えているのか絞られているのかよくわからない.競合が多すぎて撤退した人は多いだろうと思う.本職の片手間に副業で作品を作るのも,そう甘くない道だ.
所有できる空間が限られているように,視聴できる時間は限られている.どんなに多くの人にその作品が知れ渡ったとしても,有限時間しか消費してもらえない.だから情報が無限の価値を生み続けるのは幻想に近いと考えた方がいい.研究や格言が永遠に残る,そんな成果を目指そうという遠大な動機を持つ人もあるが,永遠に残る作品が増えるほど,残るものも残れなくなる.触れられる時間が有限だからだ.誰でも寿命は無限でない.
永遠に残る価値のある本.聖書など宗教の教典や,学問の始源や,人類のある時期を代表する資料にその役割は持たされる.それに比肩するものを残そうと思うことは思い上がりで,傲慢な思いの上にそんなものは築けないはずだ.それではどんな態度を持って作ることにあたるべきか.これを私は考えるべきだ.答えを持っていない.というのも,今まで私は自分の作り考えてきたものに価値を重く置く傾向が強かった人間だからだ.
自分の考え作っているものにそこまで価値はない.価値が出ないどころか,誰にも意味を与えられない.何かを変える力もない.ただ考え作った私の中でしか,意味も価値もない.この檻の中で私はものを考え作っている.それはそれだけで楽しいことで,意味のあることだ.ただその範囲に広がりがない.広げようとしていないし,広がる力もないし,広げる意味を感じない.こうして閉じながら考え作るだけの私にすぎないでいる.
