何のために考え作るか.その意味をより小さく身近なものにしたい.つまり解体したい.大きく遠い目標を見遥かす視点は必要なのだろうけど,その中で非常に価値の重いものを作り残さなくてはならないとの思いを解体したい.自分がそういうものを残すことに生きる意味を賭けてきてしまったものだから,それを解体することは人生の意味を再構築することになるので,危うい考え方ではある.でも,聖書に沿って解体すれば安全だ.
私のこの遠大な思いを安全に解体できるのは,私の知る限り,聖書だけだ.でなければ,この遠大な思いは現代では非常に有意義で尊敬に値する思いであり,望ましい思いである.消す意味がないと捉える人も多いと思う.でも,私はもうこの深遠な目標に何も魅力も未練も感じない.私を支えているものが私の思いでありたくない.私は私の思いで生きてきたが,そうではなく,私の思いから解放されて生きるべきだと,悟ったのだ.
何かを残すために生きるのではなく,何かのために命を賭けるのでもなく,ただ神の基準に沿って生きたい.神の目に正しいとされる道にただ従って生きたい.それが最善の生き方なのだ.私などが考えうる生き方ではなく,もっといい生き方がある.それを10年間教会に通ってきた私は当然のように知っている.そろそろそちらの方に航路を切り替える時だ.今まで取り組んできたことなどどうでも良かったと思えるほどになりたい.
何かに賭けて生きるのも悪くないと思う.成功が待っているだろうから.しかし,それではこの世的だ.そんなもののために生きたいか.私は生きたくない.得られるものに大した価値がないからだ.名誉や成功や富,そんなものを私は全然欲しくない.私はただ豊かだ,幸せだ,と感じている時間を長くしたい.苦境で祈る素直な心でいられる時間を長くしたい.自分で成長させようとしないで,神に成長させてもらう生き方をしたい.
