買い物に飽きた.本格的に飽きた.今までも,買い物が楽しくなかった.失敗続きであったし,買うことが何も楽しくなかった.一時的な興奮も,心の中で処理するのが大変なだけだった.それで,SNSで買い物に飽きている人を探してみたところ,結構な人数見つかった.なるほど私だけがおかしいのではなかったのだ.これからは自信を持って買い物に飽きたと宣言して胸を張って生きていきたい.買い物はつまらなくていいのだ.
無理して苦しみである買い物をしなければ,生活費は10万円もしない.毎月7万円を将来のために送り,3万円を寄付献金し,それでも月末に余ったら,株式でも買うか妻に送金し,形の上で使い果たしたい.というのは,多くのお金を持ちたくない願望があるからだ.将来のために送る7万円は天引きであり,意識にも上らない.知らぬ間に貯まっていた隠し財産のようなものだ.そんなお金を将来見つけるのは,楽しいものではないか.
買い物を無理してしない.しなくていい.買い物して特定の誰かが喜ぶなら,それは買い物すべき時だ.才能があるのに生活が貧しい人がいる時,仕事を作って発注することは意味がある.これは非常に良いお金の使い方になると思う.また,お金が少なくて活動できない人に与えることも良い使い方だ.何も返ってこなくても,その人の命を繋げるなら,そのお金は非常に有効に働いたといえる.お金自身もその有効さに喜ぶだろう.
漠然と世の中の経済のために使うことが,誰かを潤すとしても誰なのか永遠に見えないのであれば,私には喜びがない.私の知っている人のために使った方が,私は喜べる.顔の見える使い先.なんでも有名な巨大ブランドから買いがちだ.信頼をおいてしまうから.そのブランドが好きなのなら良いだろう.しかし,そのブランドから買うことで得られる効用よりも大きな効用を得られる使い道を探ることのほうが楽しいと思うのだ.
