Closest Closing

身近な人が思想が違うとこんなにも話ができないのだなと思わされる。妻と話しができない。撥ねつけてくる。答えも日本語でなく喃語のよう。妻には激情して物を壊す癖があるので、あまり深い議論もできない。得られた言葉の端々から、妻が何を言いたいのか書斎に持ち帰り考え込むことになる。専門書よりも遥かに難解である。
妻は私の境遇を何も知らない。私の人生には興味がないと言い切っている。妻の半生を聞いても答えてはくれない。秘密主義らしい。じゃあなんで結婚したのか、私には理解できない。私は家族が欲しいと思って結婚を自分に許したが、家族になるどころか同居も満足にできていない。平日は生活時間が合わないので会話することはない。休日には妻は遊びに出掛けているらしく、朝から夜まで不在である。私はいつ妻と話すことができるのだろう。
妻には自分が面白いと感じる話しか聞こうとしない傾向が強い。つまらないことが嫌いであるらしい。私はどんな話でも聞くし、話すのだが、妻は内容が最高に面白い話しか聞きたくないと結婚した時から言っていた。そして自分からは何も話さない。話すことが受動的な行為であるらしい。普段からYouTubeの娯楽しか見ておらず、私には背を向けてソファで横臥している。なぜ妻は私と結婚したのだろう。なんのために?
私は結婚後も大した職に就けていない。地元から離れ見ず知らずの土地でいかに暮らすか、自分でよく考え、なんとかやってきた。しかし、それが情けないとしか妻は言わない。中年なのにいっぱしの仕事も持っていないのが気持ち悪いらしい。新卒で正社員になって今まで働いてきた妻には、この点の理解がない。妻が大黒柱だったので、出産を厭う妻を慮って子供を諦め、家事のために正職の道を我慢したのに、自己責任だと妻は言う。私は何も言わないし、言おうとも思わない。
私は妻と話すことを諦めている。これからもそうしようと今は考えている。合う趣味がないことは、結婚前からわかっていた。価値観も正反対であることがかなり多い。仲睦まじい夫婦のようには生活できない。私としてはいつ妻から離縁されたり追い出されても良い。私は居座るだけだ。そんな結婚生活だが、喧嘩や不和が表面化しないだけ良いと思う。異なる育ちの二人が一緒に暮らすとこうなるのだろうか。