知識はいつも目に見えない.それなのに知識を持っている人がいる.知識を持っていると思われる人の特徴はなんだろう.というのも,知識の量や,知識の方向つまり専門,あるいは知識の習得と技術の向上について,そんなことができるならそれはどういうことなのか,がよく分からなくなってきたからだ.知識を蓄えることができるのか,できるならどうやってできるか,そういう知識が不足しており,とても自己需要が高いのだ.
知識を蓄えると,技術の肥やしになる.SQLを自在に組み立て問題を解決したい.ウェブを作るとき,データのフローを構造化してささっと作って短時間開発を可能にしたい.参考書を短期で全て頭に入れて組織化も行い,プログラム言語同士の類似性や共通概念を引き出して詳しくなりたい.そういった現実的な課題を抱えているので,自分の知っている方法よりももっと良い方法はないものか思案しているのだ.
自分の過去を振り返る.高校2年でウェブページを作り始め,受験勉強はせずに国立大学へ入るやいなや,図書館に浸りきりになり物理を独学.ブログで哲学ばりの文章を公開し,それを結局現在まで行い続けている.本は300冊以上持っていて,今度帰省した際に10冊ほど持ってこようと思うが,さまざまな本を読んだ.結婚して社会人になってからは,本を読み音楽を聴く時間がとれず,耽美的な生活から無縁になってしまった.
膨大な知識をまとめた本が好きであることは認める.辞典や厚い理論書をたくさん持っている.そういう類の本を全部読んだ経験が,知識の代名詞的存在になっているので,先入観となって勉強を妨げている気が大いにする.もう少し気楽で健全で楽しい知識観を確立したいものだが,なかなかうまくいかない.体系的な知識なぞあるのかと問うた大学時代の感性が戻ってきたようである.
