休日である今日はウェブコンテンツを消費して過ごした.窓の外には輝く雲が見える時刻になって,ふと手元に置いてある文庫本が視界に入る.文庫をソファで座って読みたくなるのはなぜなのか,考えてみて,活字と一体になる直接感覚が解き放つ自由な空想が心地よいからであると思った.その文庫はフィッツジェラルドの「グレート・ギャッツビー」なのだけど,第一章でギャッツビーが現れて消える風景が好接に描かれており,そこで読み止めている.
風呂に入り,もう一度同じ場所につく.つまり炬燵でThinkPadを立ち上げて窓の外の煌びやかな雲を見る.どうして2030年ごろもウェブは面白いだろうか.毎日光が駆け巡る速さでコンテンツを消費して,毎日着実な積み重ねでコンテンツを生産しているというのに,ウェブはいつでも面白い.なぜこんなにも面白い機械と出会えたのだろう.ちょうど私たちの世代だけではないのか.
大学でウェブを専攻し,仕事も結局ウェブ開発という,なんやかんやでウェブ産業に浸っている.巷の媒体でいわれているウェブの風評などなんも気にしない.ウェブは面白いし,飽きることなくずっとやってしまうが,それは同年代の方々も同じだろう.給料が低くても,仕事がまだ面白くならなくても,なけなしのお金でPCを買ったらば,ウェブに接続してしまえば休日を楽しめる.
2030年になってもYouTubeは面白いか問題は,文庫本が今でも面白いのはなぜか問題の中に答えが半分ありそうだ.つまり,傑作が古典的動画や歴史的ツイートといわれ,ウェブコンテンツの歴史家によって編纂されるだろうから.それをたどる文化人や新手の職種が必要とされてくるなら現れるだろうから.その誕生を直時直接みられる今はやはり楽しいし,2030年にもTVもラジオも雑誌も本もゲームもアニメも漫画もアートもウェブも,若者がフラットにみればそれぞれ楽しく分断されているに違いない.
