常識は高卒までにつくられる.ふと自分の人生を振り返ると,どうしてこのような人生を選んでいるのかが分かる.そしてその基準は,高卒までに形成した常識にある.自分の人生を特徴づける行為が3つある.ブログ書き,意図的に遅い思考,そして最高の意味の喪失,である.特に最後の行動基準については個性的な哲学になっているので,他の人たちが持っていない意外な個性と受け取られてしまうおそれがある.
ブログに書くことは,自分とその周りのことが多い.他人の権利を侵したり害さないためにわざと自分にまつわる表現にとどめている.自分の関心のあることや勉強したことしたいこと,考えついたこと.無人称で書けることを好んでいて,誰がどうとか,一切書かないことにしている.この思考で書くブログが趣味になると,自分以外の人のことを考える回路が鈍くなるが,自分について考えているので他人を貶したり疎んじたりはしていないつもりでいる.
自分を考えているので,すべての概念や事象について考え尽くしてから召されたいと思っている.そう志しているから思考は広いが遅い.ことによっては粗くもある.それでも,考え尽くせた,知り尽くせた体験を数回は経験したので,もういつ召されても後悔はない.それでも人生には予め知らなかったことが起こるので,まだ足りないのだと思う.最近またそう思うようになる出来事が起こっている.
それでも自分の哲学に支えられているからこうした生活を送れている.それは,「最高の意味の喪失」である.人生において最高の事象から意味を剥ぎ取り,意味を無化してしまう,そういう知的技術である.なぜなら,事象は事実になるが,意味は感情となり足枷になるからだ.軽い足労で次々広大な探究をするため,世間的な価値は措いておき,人生に起きた出来事さえ,事実のみを引き出しておく.高校を転学し,障害を負ったことで見えた大切な技法である.
