自分は発達障害を抱えているが,結婚している.そしてそろそろ4年が経つ.幸せな生活を送る中で,自分の人生の中核概念は大きく変化した.それはつまり,発達障害による才能を発揮する社会性と,結婚生活を営む社会性との折り合いである.たとえば,いま私たち夫婦が何らかの力で別れるとする.妻は多分あっさり行ってしまうだろう.自分も社会のために成し遂げたかった事業を再び始めるだろう.お互いそれぞれの人生を歩み出せるだろうと思う.でも私たちはそうしないのである.
発達障害が爆発的な創造に結び付く偉人の生き方に,反省を加えたのだ.確かに,自分も一応,物理や数学界隈で創造的な成果を出すような幸運に恵まれた.それはしかし,神さまから賜った霊感に過ぎない.自分の力で捻りだした考案ではなく,神さまに祈って見た幻の一種なのだ.その幻は計算できたので数学的実体だったわけだが,自分が人生で達成したい願いが叶ったのは完全に神さまのお力なのだ.だから神さまが引き合わせてくださった結婚生活を取り崩すことは,しない.
霊感には神さまからいただいたものと,自力で見ようとしたものがある.それはどちらかはっきりする.神さまからいただいたものはいずれも正しく,断片であっても先があり,苦しみを救う効能もある.一方,自力で見ようとしたものは,常に間違っており,完璧なものとして見えるが,結局苦しさを弥増すものに過ぎない.前者は霊感であるが,後者は勘違いや妄想の類である.
神さまの力で成し遂げた事柄はいつも正しく,万事を益とさせ,幸せを与える.一方自力で考えたことを自分だけの力で実行に移すと,必ず失敗し迷惑になるだけで終わる.だから,神さまが与えてくださっている結婚生活の上で,発揮できる才能は活かし,結婚を解消しないと実現できないような事柄はばっさり切って捨て,神さま中心の生活に立ち戻り,取り入れていく.自分は経験から霊感と妄想を区別する知恵がついたといえる.
