ウェブ制作に革命が必要だという人たちは意外と少ない.世界のどこかでリリースされた新機能に追従するだけで時間が過ぎ,ウェブコンテンツと真剣に対峙し,歴史を作るくらいの水準を自らに要求する開発者が少ない.どうやら瞬間的で,即時的で,刹那的な制作術が流行し,じっくり腰を据えてウェブデザインを思索する精神が,持ちにくくなっている.セロトニックでドーパミックな背景の時代に過ぎない.
精神の衛生が保ちにくいとき,精神はエコロジカルな成長を欲する.その肥料もまたウェブにある.ウェブはわたしたちの腹部を肥大させ,前傾りの猫背にし,両脚を細く萎えさせる.絵具のテレピンは嗅ぐに値し,トリスタンの和音は絶望を連想させ,黙読がある日の精神を狂わせる.健康な創作は存在できない.ウェブは無償で多様で,未完成で新奇で,時間と空間から自由で,その分些か益しである.
どうしても微妙なニュアンスが出しにくい.飽くまで面や線である.筆触や音響や偶然を,ウェブは受け付けない.コンピューターはデザインを変えたが,ものの理として,手軽になった分だけ,精神は消える.考えることが増えているのに,精神は器用な多産へ変態し,作風は敷衍され,模倣は拡散し,類似物が普及する.作者の存在理由を持ちにくいので,制作は内製化し,品質は平坦化する.
容易な複製が,芸術の専業化を阻み,画一的な個人作品を迎える.芸術家の事業は指導と普及,その目的は名誉でなく貢献,その福利は市民生活の充実に置かれる.ウェブの作り方を教えてもらえる,ある程度教わったら自分で作れるまで自分で勉強する,大抵のものが作れるようになったら今度は教える立場になる.こうした流れは好ましく映る.一面ではいい時代,別面では危機を共にした時代のはずだが.

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