この世に娯楽はさまざまあれど,本当に打ち込める趣味の数は,誰しもさほど多くない.私はウェブと数学と,最近始めた声楽の3つを趣味に生きると決めた.娯楽はおそらく少なく済めばそれでよく.退屈を楽しむことが目的だから,仕事が趣味だと云ってもいい.仕事の目的はやりがいでも地位でも収入でもなく,退屈を楽しむため.働けば,社会の誰かの退屈が紛れるかもしれない.目的はそのあたりだ.
ギリシャのピタゴラス学派が打ち立てた,数学のほか音楽や天文にも通じた研究に,私の娯楽はどこか似ていて,単純な算術や(そもそも数学とは単純なものだが),規則と演繹による知識体系を愛好する人間の一人である.だからといって度を超えて詳しくなろうとか,すべてを知って完全な体系を身に着けようとかいった野望は悉尽皆無.経験上,度を越えても自慢が出るばかりで,みことばに逆らってしまうだけ.
このように,すごいことを成し遂げたいと思わなくなったが,別の真剣への要求が出てきている.この世で成し遂げられたことに残るものあれど,時代が変われば消え去るのみ.メディアとは残すためにあるけれど,メディアを選べる現代においては,残っても日の目を見ないに違いない.テレビを見なくて済み,新聞を読まなくて済み,本とウェブを巡る知的活動.不要な情報から離れれば,時間が作れるとはいえ.
自分ひとりの時間が人生だとそう思う.家族が帰ってくる夜は嬉しいけれど,自分の部屋で神と相対し真剣に祈るとき,不意に涙で心が洗われるとき,聖書を聴いて初めて聞く節に学びを得たとき,人生に隠れていた喜びを見る.この発見は,一人の時間なしでは成し得ない.書斎の意味はここにある.神さまに従うほかの道などない.ずっとどう生きたらいいか悩んできてよかった.安心して神さまの道を歩こう.

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