度を越しても自慢が出るだけである.この命題について出来得る限り充分に考察したい.人生には順境と逆境の波があると云われる.失敗して悟った後の人生は,失敗し続けた人生と異なる時間となる.幾分か謙虚になり,圭角が解れて柔らかい人柄になり,自らが低められることを喜ぶように優しくなれる.だからといって無理して失敗しなくてよいかどうか,さまざまな実業家や哲学者が論じてきた.
世の理を弁えるために本を予め読んでおく.この姿勢は失敗を経験にする準備のためだけでなく,考え続け,試し続け,達した後も振り返り続けるために,成される.些細な出来事や,感謝した対応や,仲間との思い出を在々と鮮明に語れる人物はきっと,こうした習慣を持っている.この行為において,達成は決して終着にならない.合格や就職,結婚や召天で,人生が終わらずに済む.延々と続くのだ.
停止を誰しも嫌う.生きるとは運動だから.達成によって停止を余儀なくされると,どんな達成も努力も,収檻されるためにあるようなものになる.そこで目標の喪失や無為に苦しんだ経験は,将来の自己を活動させるだろう.だが度を越してはならない.度を越して達成しても,勿論誰も褒めないし,自分の中に隠して終わる.なぜか.自慢してはならないから.自分を高くするための努力は滑稽なのだ.
難関の資格を取得する動機が持ちにくい理由が,この辺りにあることがわかる.自分を高めて誇りとすることは教育上宜しいことと教わるが,違う.合格すると誓うなら,必ず不合格が待っている.天に国籍を持つべきなので,此岸の地位を誇ってもうまくいかない.受験に成功しても,その成功した受験経験がその後を蔑ろにすることがある.自慢しないために度を越えないと決めれば,人生は楽になる.

コメントを残す