今年を総じる時期.私は今,3つの危機感を持っている.職場でも合唱団でも教会でも,どうも最近言語化しにくい感覚が残っていることに気づいていた.それは人に会った後,優れた人物に対することが叶った日,普段顔を面してお世話になっている人と別れる時刻,腹の底に残る気持ちが生じていることが分かる.15分くらい経つとまた乾くのだが,その時間は漸う延びていた.私はその感覚を表せないことに危機感を抱いた.
その危機感を分析した.3つの要因に分けてみた.ひとつは「このままでは私は何も言えない人間になる」.職場で発語できず,会議でも発言せず,質問されたら無礼にもほどがある体で返答する.私は自分を弁えていない.自分を観察できていない.だから,自分の言動が不安定で,自分で自分が何をしでかすか分からない.いつもそうである.私は自分自身をもっと観察し,客観的に反省する必要がある.
ふたつめは,声楽的謙虚である.念願叶って音楽を習う機会を確実にするも,自分がどのくらいの音楽を持っているか,まったくわからなかった.今,頂いた録音を聴いた.もちろん浅い経験から出る声は,音程が外れ,尻で窄み,眠たく潜もった鼻声.自分の聴覚や耳の構造を疑った.つまるところ,先が長く,訓練がものすごく必要で,それさえ知らなかったのだから危機である.
3つめは,今まだ自分は言語化できない.それは人とよりよくつながること,実のある関係を求めること,その関係を長く続けること,そうした困難である.本当ならもっとうまく付き合えて来たはずなのに,自閉的性格や過去の経験から来る歪みが,どうやら物事から貴重さと感謝を奪う.自分は神さまに多くの素晴らしい出会いを設えていただいているのに,納得するまで活かせていない.こうして思うのだ,来年は必ず成長する年になる.

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