休んでいると,ふと音楽がわいてくる.以前聴いたことのある旋律.その旋律に意識を委ねると,様々な光景が映画のように連鎖する.ドビュッシーと千葉,ラヴェルと上野や渋谷,スメタナと筑波,ベートーベンと実家,シベリウスと横浜.この人生は,本当に多くの美しい時間を経験してきた.それらを具に見るだけでも,この人生に深い満足を持てる.音楽が余りに空間的記憶と結びつくので,声楽や作曲に取り組むことで,生活は更に積極的に変わる.歌い弾くことは聴くより能動的だからだ.
この正月休暇,今年で35歳になるにあたり,いくつかの甘い認識を改めようと心に決めた.将来に物の分かった老人として振る舞えるようでなければ,本意に沿ぐわない老後を送る破目になる.自分の半生を振り返ると,究めたいことを究めた点は,実に高く評価できる.しかし,その他の点を犠牲にした.その点の中には,貴重なものもある.線へつながる機会もあった.でも私はそれを逃した.存在さえ知らない点もたくさんあろう.
音楽の記憶は,過去の機会を追憶の中で検討させてくれる.自分が何を求めていたか.それを知るには吟味する時間を充分にかける必要がある.もしあの時そっちを選んでいたら,こうなっていただろう.もうひとつの選択のほうが,今の選択後より輝いて見えるなら,当時の機会のほうが自分の望むことなのだし,今の選択のほうが良かったなら,後悔は消える.どちらにしても今からまた探せることである.
若いときにたくさん経験しておいた,このことが,齢を重ねるにつれ,新しく取り組むきっかけになっていることに気づく.若いときの経験は,余後のきっかけである.きっかけをたくさんため込んできた青年は,楽しくて仕方ない人生を送るだろう.いくつかのきっかけをつなぐものが見つかれば,追究に値する主題になっているはずだ.私は音楽によって人生に一本の芯ができた,そう感じるようになった.豊富な気分が続いている.

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