読みたい本と書きたいことには若干の相違がある.神経に染み込む本は,繰り返し読む本になる.ところが,そうしたすんなり理解した本については書きたいと思わない.書きたいことといえば,自分が日頃関心を持っている好奇の対象,則ちよく知らないこと,気になるが奥が深そうなこと,何年間も関心を持っていること,そうした薄く広い関心領域についてまとめたいのだ.書くとなれば具に調べる時間が厖大に必要であると容易に推測される.
本を読むことと書くことが同時になる分野もある.プログラミングだ.読みながらプログラムを作っていき,動くまで何度も訂正する,この経験は読書を変質させる.本をそのとおりに打ち込み,入力し終えたらそのとおりに実行しなければ,正しい読書ではない,と考えがちになる.実行するのはコンピューターではなく私という人間である.本の内容をすべて思うように考えられ,組み合わせられ,新たな知識を算出する.無理な話だ.
プログラムを書いていきたいというのは,自然言語の本を読みたくないという率直さでもある.日本語で書かれた本を読むよりも,プログラムを書いていく方が気が楽なのだ.日本語で書かれた本が楽しく読めなくなり,ギークのためのと冠された本しか読めなくなった.ある意味職業病,不幸でもあろう.それでも,自由に書ける言語を持てたことは代えがたい喜びである.日本語にも英語にも,縁が遠くなってしまった昨今である.
文字数でいえば,日本語の発話量より,英語や中国語の読解量より,プログラミング言語をたくさん書いている現在.今一番使っている言語がプログラミング言語であるというこの状態.気づいたら毎日外国人になった気分で日本語を使おうとしている自分.どうやらプログラミング言語によって言語観が変化していく時期を経験している.今も書いている.自然言語を使っている.しかしプログラミングの感覚で書いているのである.

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