言語の困難.発音,思考,表現,理解.私が根本的に苦手とするこれらの言語プロセスは,仕事や生活を困難にするので私は障がい者と認定されている.言語を介さずにこのプロセスを回す能力は秀でたものがあるようだ.だが,仕事でも生活でも言語を使う故,私の障がいは社会活動を困難にしているとみなされる.私自身の困難感は然程ないのだが.
それは,私は知らないからだ.常識や見識や礼儀や社会通念など,普通に人が過ごしていれば意識に入るような念慮を,私は一切持つことがない.これは悟っているとか素直であるとか,いい意味で受け取られる場合もある.でも,公的な振る舞いが求められる時に挙動不審になってしまえば,教養もない人物だと受け取られるらしいので,困った.
私は以前韓国系豪州人に「言語が嫌い」と英語で滔々と話したことが忘れがたい.その才女は言語療法士の資格を持つのだが,それゆえ私の言葉は刺さってしまった気がする.私は言語で苦労していると話し,文字も本も好きだが,言語は私を困らせるので嫌いだと熱弁を奮ったので,周りは沈黙した.その才女も何も言わず話しを聴いていた.
長い間続けてきたこの部録では語彙が豊富に見えるが,実際は書き言葉はまだしも,話し言葉は訥々とし,発音さえ儘ならないほどである.重要な内容でも話すことを諦めること,私に話しても伝わらず苛立たせてしまうこと,多々ある.初めて会う人はまさか話しに障がいがあることを普段自然にできることができないなんてと驚かれるが,障がいだから辛いのは仕方ない.

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