知らないことを知るには,確実なことから考え出すことが早道だ.想像だけで考えられることは多いけど,それらが正しく確実かどうか,確かめられないこともある.私の直観的希望からいえば,誰かが想像できた物事は実現できる.筋が通っていればみな正しく,実現可能性が未知数なだけである.だから,物事の正しさは,特定の対象に限っても幾通りもある.
確実なことを発見できたら,それを基本に考えを練っていけば理論になる.ところが物事は理論のとおりに起こるかといえば必ずしもそうはならない.しかし,理論で説明可能な事柄は,想像のとおり自由に扱えるので,いろいろな物が作れる.例えばソフトウェアは理論的に完全に理解可能なものである.その手間を踏む人は滅多にいないけど,開発者は自分が想像したように実現できる.
私はウェブを一から作る仕事をしている.そのおかげか,物事は想像のとおりに作れるから想像するよう努めようといつもそう思う.その反面,想像の範囲で理解可能なことを抱える時間が長いので,また,想像のとおりに作れた経験が多いので,物事は理解可能なものばかりだと思い込んでいる節がある.私だけが正しいとは思わないが,理解できない物事は滅多にないとしばしば考えてしまえる.
理解が難しい物事は本当はたくさんある.人類がまだ誰もわかったことがない現象も,多くあるはずである.しかし,その未知の現象を理解可能にする確実な原則を知っているせいで,あらゆることが理解可能になると考えがちだ.本当は未知のことがあるはずなのに,この情報革命の人間の傲慢の罪だろう,何でも理解可能だと考えられるこの時代.COVID-19はそんな人間に未知を提供する神さまの計らいなのだろう.

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